百人一首に感動

漫画ちはやふるがここしばらく、娘とわたしのブームになっています。娘は一体何度読み返しているのだろう。ストーリーもほぼ頭に入り、もう句も覚え始めている。それを見ていた夫が百人一首をポチッと購入。可愛い娘の学びの機会を決して見逃さないのが夫(立派!)

大喜びの娘。漫画ですでにイメトレはできているので、さっそく主人公千早ちゃんのようにシュパーンとかるたをたたきたいのですが、まずは百句を覚えないといけません。私はその百の数字、分厚いかるたの量にまず圧倒されました。多い、、そして昔の言葉が使われているので、なにが書いてあるのか全くわかりません。暗号です。そういえば、古文苦手だったな。でも、娘とかるたをやってあげたいと思っていた私。この年令の子ってまだまだ一緒にやってあげないとなかなかこういうの続かないですよね。上達しないだろうし、、夫、買ってくれるのは早いのですが、一緒にやってはくれません。

私の不安をよそに、娘は早速読み札と取る札を全部広げて、目を輝かせておぼえはじめています。あっ!この句は知ってる!とか、国語の教科書でよんだ!とか、シュパーンと飛ばしてみて楽しんでいる様子。横で見ていた下の子も下の句のひらがなの方だけみて、呪文のように唱えています。子供は句の理屈なんて知らなくても、文字の羅列だけで、音で覚えられるんですね。音の面白みや引っ掛かりみたいなものだけで楽しめる。羨ましい。全く私には無理なこと。神経衰弱だって二人に負け越してるのに。取り敢えず、句の内容を理解できたら、私でも少しは覚えられるかなと思い、一緒に付いていた副読本を読んでみることにしました。その小さな冊子には、その句の作者と年号、大まかな意味が書いてありました。パラパラと読み流していくと、やっぱりたくさんの歌の中から選ばれてきた句集なのですね。その言葉の美しさや組み合わせに私は感動してしまったのでした。言葉の意味が何通りも解釈できることによってうまれる物語の広がり、季節を感じさせる表現のうつくしさ!そして、千年以上前に読まれたものなのに表現されている感情は今と殆ど変わらないことへの驚きと共感。まだ全部読めていないのですが、恋の句が多いのも何となく私にとっては驚きで、人と人との繋がりに喜んだり悲しんだりして感情を揺さぶられてしまうのはどんな時代でもそれほど変わらないのですね。短歌がその当時の貴族の遊びだったということもあるのでしょうか。

今の私は子育て、仕事、家事で時間におわれる日々なので、大好きな映画も漫画もドラマもゆっくり見ることが全くできてないのですが、代わりに短歌ならこんな私でも楽しめるのではないか!と思い、百人一首を読み始めることにしました。暗記は昔から大の苦手なので、ちはやふるでの競技かるたのように最初の何文字かを覚えて、下の句を取るスタイルに挑戦しようかと一瞬思いましたが、かなでちゃんのように意味を知って覚えるスタイルでいこうと思います!できることなら、子どもたちともかるたをとってみたい!

昨日、何度か紙に書いて覚えてみました。第一句めです。

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ 

秋の田んぼの刈穂を納めて守る仮小屋の、苫の網目が荒いので、袖が露でぬれているよ

という感じでしょうか。

 

私が1句を覚えている間に娘は6句、息子も3句覚えていて、本当に本当に物覚えの悪さを実感しています。でも、言葉をながめて、いろいろな情景が頭に思い浮かぶ心地よさがわかるのは年齢を重ねてるからこそ!と。すこしずつ覚えて、自分の読む喜びにできたらいいなと思います。